当神社の社宝をご紹介いたします。
古鍾
碓氷峠は関東文化圏の西の端にあたり、西方浄土として民間信仰を集めたため、熊野神社は古より熊野権現と呼ばれました。
「碓氷峠の権現様は主の為には守り神」
と唄われ、追分節の元唄となって権現信仰が全国に伝播していきました。
この吊鐘は鎌倉時代(正應五年、1292年)に松井田の武士団によって「二世安楽(この世とあの世の両方での幸せ)」を祈願して奉納されたもので、当時においても熊野信仰が如何に深かったかを物語っています。確認されているうちでは群馬県で最古の吊鐘で、県重要文化財に指定されています。
神楽殿天井絵
江戸時代中期、文化2年(1805年)冬に青雲齋良山という雅号を持つ人の手によって描かれました。上州側にこのほか動物、鳥、鼻、金魚等を描いた14枚が残されています。神楽殿入口の向拝部の天井の龍も同じ作者によるものです。
随神(随身)様
神社の霊妙な堅い神門にあって、神域に邪悪なものが入るのを防ぐ御門の神様です。
本姿は明治初期に作られたもので、胴内に作者名・年号を残します。
奉額
江戸時代中期、天保11年(1840年)当国安中宿の柳澤庄七、次郎吉が奉納した奉額です。神功皇后とその御子、応神天皇を竹内宿禰が抱えている様子と伝えられます。
算額
「算額」とは和算(現代で云う幾何)の問題と答えを額にして奉納したものです。 全国的にみても上州(群馬県)には多く、江戸時代後期に盛んに奉納されました。
この額は上州より二つ奉納された内の一つで、明治五年に奉納されたもので、当時、数学世界の実力者であった關流の巖井重遠の授業にて巖井雅重の門徒が掲げたものです。
そのレベルの高さの点で全国的にもあまり多くはないという難問揃いの貴重品です。問題の内容から「浅致算法」を使う尾張の和算家平野喜房との研究結果ではないかと予想されています。
上州坂本、松井田、安中、伊香保、武州本荘の門徒より、七つの問題と答が提示されていますが、その解き方は書かれていません。
近年、全国の数学者、和算家の英知を集めて解法解明が行われていますが、いまだ解法不明な点を残しています。この額は、日本独自の数学の奥深さの証です。