当神社の摂社・末社をご紹介します。
摂末社 菅原社・八坂神社・稲荷神社
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御祭神
主祭神
菅原社 菅原道真公 建立年代不詳
八坂神社 素戔嗚尊 建立年代不詳
合祀された神々
稲荷神社・浅間神社・疱瘡神社・八幡社
一王子社 元文5年(1740年) 建立
一王子社 文化6年(1809年) 再建後合祀
湯殿大権現 享保6年(1721年) 建立
湯殿大神 弘化2年(1845年) 屋根葺き替え
湯殿大神 文久元年(1861年) 再建後合祀
陰陽五行信仰 東青木日神・西白金月神 年代不詳
摂末社 健康神社
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御祭神
天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
高皇産巣日神(たかみむすひのかみ)
神産巣日神(かみむすひのかみ)
御由緒
宇宙根源の神様をお祭りします。子孫長久、二世安楽の守護神であり、産巣日の霊力により心と体の健康に恵まれ、厄難消除、延命招福のご利益を享けることができます。産巣日とは天地万物の凡そ物を成すことの霊異なる御神霊をいいます。
また、併せて祖霊をお祭りします。
箭立明神(やたてみょうじん)
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御祭神
不明
歴史縁起
源頼朝が浅間での巻狩の際、長雨に悩まされ当社に晴天を祈願し、上矢を奉納したことにはじまります。
解説
「吾妻鏡」によれば、源頼朝は建久四年(1193年)下野国那須、信濃国三原野などでの狩に出発しています。この記事と関連する「曽我物語」には、鎌倉街道上道のルートを通り、碓氷峠を越える記載が見られます。浅間の御狩の事(その八)に「次の日は碓氷の峠に打ち上りて矢立の明神に上矢を参らせ、御狩始め渡らせ給ひけり」とあります。
また当社の社有林内には、巻狩の際に弓矢の練習をしたと伝えられる的場跡があります。
木霊社
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人は今日も多くの「いのち」を戴いて生かされて生きています。そして、多くの人に助けられ、自分も必ず誰かのために役に立てて生きています。
櫟(イチイ)は容易には大きくならない木ですが、このような崖の岩や砂礫ばかりの場所で、何百年もかけて傾きながらも大きく成長しました。
この木のように、元来、人はどんなに大変な環境でも生き抜いてゆく力を持っているはずです。この木の生命力を讃えてここに木霊をお祭りします。
多重塔
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由緒
南北朝時代、文和3年(1354年)に、「二世安楽」を願って建てられたものです。足利尊氏と新田義興らが武蔵野國(埼玉)で戦った「武蔵野合戦」にて亡くなった武士の慰霊のため、遺骨を納めて建てられたものと伝えられます。
現在は六重の姿ですが、本来は七重の塔で、天明3年(1783年)の浅間山の大噴火による灰の堆積等で崩れ、上部の一石が紛失したといわれております。
銘
奉施入
当社権現石塔一基、右造立志起者
為現当二世乃至、法界平等利益也
文和三年甲午卯月十八日
沙彌法性敬白